人の生きる速度は人それぞれで。
秒速5センチメートルで移ろう、ほとんど停まっているような恋心が、心の動きが丁寧に描かれていく作品。
中学生が一人の人を想って手紙を書いたり会いに行ったりできるのは精神年齢高いよなあと思う。
そのあと連絡を取れなくなって、宛先のないメールが積み重なっていくところは年相応に不器用で奥手で、切ないけれど共感した。
ただ誰かを想う時間だけが過ぎていって、いつのまにか現実のその人は見失っていて、失ったことを受け入れるまでに長い長い時間が過ぎる。
この不器用な人が思い出の出口に立ったところで、物語は終わる。
誰もがどこかで経験したような苦みや痛みも伴う記憶が、綺麗に綺麗に描かれる。
苦しいところは描かれない。
だからあんまりに綺麗で最初は分からなかったけど、このお話はすごく身近な物語だと鑑賞後に振り返ってみて気づく。
こういうお話を描く人が、なぜ「君の名は。」を作るに至ったのかがすごく気になる。
なぜああいった形の恋を描いたんだろうか。時間は戻らないし、過去は変えられない。神話をも使い、何かを祈るように、目の当たりにしてきた現実にフィクションの世界で抗おうとしたのか。
その挑戦は果たして救いになるのか、私には未だよく分からないけど、あれだけヒットしたのはやはり救いになったからだろうか。
見やすくて美しい映画だと思うけど、ストーリーはどうだろう。秒速5センチメートルの方がずっといいような気がすると思うのは、何も喪っていない人間の視点だろうか。
日常生活をベースにして創作があると監督はこの作品のインタビューで語る。その後の2011年に起きた震災ではテレビの向こう側で誰かの日常が根こそぎ奪われていった。日常を創作の礎にした監督にとってはどうしようもなく喪われたものがあったのかもしれないなあと想像する。
脱線した。
2007年の秒速5センチメートルは、一個人の長い長い恋のお話だ。ロマンチックもドラマチックもそんなにないけど、その一歩一歩は胸が詰まるほど美しい歩みだ。
可視化されないだけで、誰にでもその人だけのドラマがある。この作品はそういうすごく個人的な、他者には見えないところを可視化している。
綺麗な記憶を見ているかのような鑑賞感があった。
・雑記
たった900文字を書くのに3週間かかった。
何回も書き直したのでこの記事が第6稿くらいだろうか。これにてひとまずお終い。
綺麗に彩られた映像に目が眩んで、これはどういう物語なんだろうとしっくりこないまま日が過ぎていった。
ちょうど時期が良くて、大事な人に言葉を送る時のためらう心情が重なった時にやっと主人公の心情が理解できた気がした。気がしただけかもしれない。
ありふれた心情から雑味を除いて、とびきり美しく描いているんだと気づいたけど、異次元だよなあ。
異次元の美しさで現実を描いていることが理解できたのが、すごくいい映像体験だった。