またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

山口つばさ『ブルーピリオド』13巻

ブルーピリオドを読むと、自分の頭の中とか作ってるもののこととかを別の視点から見てみたくなる。

批評されたいと思う気持ちと、人の視点ばかり気にしても作りたいものはできないぞという気持ちが共存している。

 

・「罪悪感」の課題

ノーマークスでの学び、学校での学び、八虎にはどちらも必要なもので、人は組織も作品も、その人の基準で「良い」「悪い」と評価する。そしてその評価には、評価した人の価値観とか思想とかその人自身が現れる…という思想でインスタレーションを作っていた。おもしろい。

正義とか悪とかに対する姿勢とか、普段の会話ではしないようなわりあい抽象的な思想的なところを表現できるのが美術のおもしろいところだよなあと思う。現代アートとかそういう風で、楽しいよなあ。

罪悪感。他の子が罪悪感という感情を表現した作品を作る中で、八虎は罪悪感という感情の起点というか理屈を形にしているのが魅力。八雲さんも罪悪感を持てる状況が贅沢だという自論を展開していて、これもまたおもしろい。

感情は反応なんだよね。なんでそういう感情になるのかという起点に自分の本質というか本音があるのかもなあという気がする。罪悪感が表層だとしたら、何に罪悪感を感じるのか、なぜ罪悪感を感じるのか。

罪悪感って確かに人の目だよ。自分一人なら罪も悪もなくて、誰かに非難されたり怒られたりしてはじめてああこういう影響があるのかと思い、それが是正できないものだったらその人に対しては悪いな申し訳ないなと思いながらことを進めるしかない。

他人がいるから罪や悪が生まれるならば、やっぱり他人から見た自分への評価、ということになるのだろうか。たとえば自分の世界に自分以外の価値指標の存在を許さないとすれば、そこには罪も悪も存在しない。罪や悪を決める誰かがそこにいて、その誰かは自分の価値基準から罪や悪を決めている。それはなんだ?自分自身ではないかな、というのが八虎の作品なんだろう。

感情はどろどろのぐちゃぐちゃで扱いづらいものだけれど、感情の源泉たる自分の価値観とかは多分けっこうシンプルで、感情は本質じゃないんだよなあなどと思う。

 

・村井八雲

八雲さんはいいキャラクターだなあ。

出てきたときは爆発物みたいで怖いなあと思ったけど、大胆ながら非道なわけではなく、八雲と八虎で名付けも近く、主人公にも結構影響を与えるポジションなんじゃないかなという感じがいよいよ濃厚になってきた。

藝大生たち、浪人メンバーは教授にも怯まず我が道を行く感じで見てて楽しい。

 

・オフィーリアふたたび

(北北西に続いて)またオフィーリアっぽい(と勝手に思う)画が。

最初綺麗な男の子かと思ったけど、女の子だなあ。

 

美術のおもしろいところが言語化・視覚化されていく。読んでるとそうだそうだーと思う作品。

 

新年初作文2本立てということで、ぐだっとはじまりますが今年もよろしくお願い致します。