またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

山口つばさ『ブルーピリオド』15巻

去年買って読めてなかったのを読んだ。

ブルーピリオドという作品はつくるひとたちの物語なので、読むとこんな木端物書きにも何かしら問いかけてきたり、心を動かしてきたりする。強い作品だなあと思っている。

 

木端物書きが読むのを保留にしてたのは、そもそも作文学校の課題が手付かずでブルーピリオド読んで焦りたくなかったからなのだが、それから年明けての震災以降それどころじゃなくなって今日に至る。作文学校の課題は締切をぶっちぎり、まだ1文字も書き始めていない。依然未提出の身である。

 

なかなか自分の心情的にタイムリーだったのが、「他人に起きた事件を題材に作品を作ってもいいのか」というテーマだった。

世田助くんが「矢口さんが受けたショックは大事にしてもいいと思う」と返して、八虎も自分の受け止めたものを作品にするという展開。

この人たちは頭がいいので、すぐに作品にできてしまうのがそもそもすごいと思うのだが。

震災があったので単純な脳内が震災でいっぱいになったときに、私も思ったね、これ書けないかなと。八虎の言う疎外感とか、何様だとかも考えながら、自分の見たものを書こうとしてみたけど、どう書いていいか分かんない、と思ったんだよなあ。

常ならぬ衝撃を受けて動揺している、どうもできない自分がじたばたとするだけの有様をどう仕立て上げたものか。

諦めて別の話を書こうとしてるのに、こんなテーマを提示されたらまた考えてしまうな。何を思ったのか、が言語化できれば、そこを核にして話が作れるかもしれない…。こうなるからこの作品はすごいのだ。

 

この巻では「画家になるってピカソと同じ壁に並ぶってことなんだよなあ」というセリフが出てくる。久々にピカソ。ブルーピリオドというタイトルも、冒頭もピカソで、ピカソ出てくるんだよな、この作品。青の時代といえばピカソの爆発前夜の超絶画力光る作品群だけれど、この作品はどこまで行くのだろう。

 

ちなみに木端物書きの作文は趣味の類で、それをしたからって誰にも利益はないし、人を喜ばせることもない。それでも書きたいので書いている。このブログと同じに、ただ生きているのと同じように書いている。他人にとって意味も価値もないのが、なんかいいのだ。

それでも作文学校などに入って指導を仰ごうとしているのは、自分が書いているものが何なのかを知りたいのかもしれない。…出さないと授業料がどぶに…課題やろ…。