3月のライオンを読み始めた。
3月のライオンという物語に出てくる人々は、それぞれの持つ背景が濃い。主人公からして、史上5人目の中学生プロ棋士であり、幼くして実の両親と妹を亡くして父の友人のプロ棋士の家に引き取られたものの、家に居場所を見出せずに一人暮らしをしている。生来同級生とコミュニケーションを取ることが得意でなく、学校でも友人を作ることができない。それでもプロの棋士になり、一人暮らしを始め、高校に通う中で、棋士の仲間や担任の先生、縁あって知り合った川本家の人々との交流が生まれていく。
同調の余地がないほどに過酷で独特な生い立ちを背負った人物を前にした時に、読み手はどう振る舞えばいいのか、と少し考えてみたりした。
同調を排せるようになっている、安易には「分からない」からこそ、ひとコマごとの言動を頼りにして、この人はどんな人で、何に心を動かすのか、知っていくことができる。
そのように読まないと、この作中人物たちとは出会うことができない。そしてそのように読めば、ただの読者でありながら、作中人物たちとの時間を共有できるような錯覚さえ覚えさせてくれる。
彼らとの時間を共有して、ふと現実を振り返るとき、自分の今もまた、なかなかかけがえのない積み重ねで構成されているなあと気付かされる。
1巻から3巻までの間で、主人公は将棋の師匠の家を出て一人暮らしを始める。誰にも迷惑をかけずに生きられるその場所を手に入れることがゴールだと思っていた彼は、もう何の目標もないという思いと、それでもなぜだか何としても負けたくないという思いの間で揺れ続ける。そういう日常の中で出会った人たちに背中を押されながら、ゴールの先を行く人の門を叩くことになる。
物語の結末に辿り着いてしまったところから始まって、ここからまた物語が動いていくところで3巻が終わる。美しい構成だなあ…。
3巻は進むフェーズだったからか、特に印象に残る言葉も多い。先生と島田さんが超かっこいい大人なのだった。
「でもが100個揃えば開くドアがあればいーがはっきり言って、ねーよそんなドア!!」
ドアを開けたいかどうか、そしてどのドアを開けたいかが分かったなら開けた方がいいよねと思いながら。なんとかしたい現状とはなんなのか、自体が分かんないことも多いけど、でもがどこにも連れてってくれないのは動かぬ事実だな…。
「一人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ。じゃないと実は誰もお前にも頼れないんだ」
これは大事なことなんだよなあ。頼って助けてもらえたら救われて、自分も誰かを助けようと思ったりするとかそういう意味で。ひとりで破滅したらひとりでどうしようもないままになってしまう。
「難しいけどこればっかりはね 自分で言ってくるのを待つしかないんだよ」
周りがどれだけ言っても気にしても、当人が腑に落ちて決めないと何も変わらないという至言。自分を変えられるのは自分だけ…ということで。
新年度が始動して取り組む仕事は変わるも、やり方とか気持ちの持っていき方はそのままでいいんだなとか。長年の付き合いになる友人が数年前と変わらず根気よくぐるぐるしていることに気づいたりとか。デートの最中にこれが幸福というものか、これはちゃんと覚えておこうとふと思ったりとか。
時間は流れるし、先のことは全く分からないけど、変わらないものもあるし、幸せだと思うこともあるよなあと感慨深くなる春先、あるいは初夏この頃。3月のライオン、前に少し読んだ時はここまで言葉が出てこなかった気がするから、変化してるところもあるのかなあと思いつつ。