またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

20周年記念日の次の日

『オーケストラを観に行こう』ということで、

管弦楽団と演奏するという触れ込み。

見たことのない演奏が見られるぞと、

やってきました日本武道館

書いている人は人生初の日本武道館訪問です。

 

さいこうオブさいこー!!!

ゲストの人もたくさんお祝いに来ていた。

イズミカワソラさんの演奏でmix juiceを聞けたの超ラッキーだった。

スカパラもめちゃかっこよかった。

 

最初が『アンドロメダ』でね、最高ですよね。

アンドロメダ』むちゃくちゃ好きなんですよね。

音楽と行こうの弾き語りも尊死だったけど、

今日はオケと一緒に生演奏ですよ。

至高…。

 

いけないfool logic、絶対映えるよねと思ってて、

まあーかっこいいことこの上なし。

トリでタイトル回収した『オーケストラを観に行こう』の美しいこと。

 

ニゾンの生ライブすごい久しぶりで、

最後に観たのが女王蜂との対バンだったので、

2022年6月…実に2年ぶり…だ

そんなに行ってなかった!?

ライブの熱量を目の当たりにすると、

やっぱライブすごいなーってなりますね。

昨日の配信もすこぶる良かったのに、

生ライブはさらに段違いというのはもはやもはや。

 

豪華で美しいものを拝見しました。

ニゾンありがとう、ありがとうございます。

20周年

祝いじゃー

めでたいんじゃー

 

敬愛するロックバンドが今日20周年を迎えた。

かっこいいロックバンドが

かっこいい音楽を

20年間やり続けてくれている

ということは奇跡なんだよなと。

 

今朝、普段30分の通勤が事故渋滞で2時間かかって。

奇しくもユニゾンの新譜をかけていて。

往復でdisk2(mix)を聞くくらいかなと思ってたのに、

disk1もたっぷり聴けてしまった。

7月24日に彼らが20年以上前に作った曲を聴き、出勤するというファン冥利に尽きる朝だった。

もう道路事情すら彼らの20周年を祝っているのか、と錯覚する。

めでたい。おめでとうございます。

 

101回目のプロローグを

「本当のことを話すのは

今日くらいしか ありえないだろ」

と歌い上げたし、話していた。かっこよ。

今日のライブは『20年目のプロローグ』で、今までとこれからがみえるようなセットリストだった。

 

20年同じ仕事をやったとき、こんな風に笑えるだろうか。笑えるならかっこいいよな。

20年という時間の重みと、日々の積み重ねだけが今日という日を作ったのだということを、味わえるライブだった。

 

『春が来てぼくら』はバンドの推し曲で、出たばかりの頃は伸びやかな歌詞に気恥ずかしさを感じることもあったんだけど、年々しみじみと良さを感じるようになっている。「花マル」と言ったら「花マル」なのだと思える。曲に込められた願いが、尊い

冒頭は『Catch  up ,latency』だった。「記念日と称してしまえ」だ。どっちもとても好き。

山口つばさ『ブルーピリオド』 再読

前に読んだ時に息苦しいなと思っていた場面が、その先の展開まで分かっているからなのか冷静に読めたような気がする。

 

受験絵画を捨てろと全否定のようなことを言いながら、求めているのは視点や手法の拡張だったり

言葉が足りなくて他人を苦しめるのは

あるあるだよなあと

短くて強い言葉は強烈だけど

間違って伝わりがち、ほんと

 

芸術は言葉じゃない言語だから

説明できないことがあったとしても

それはそうだよなと思ったりもしながら

芸術を教える人って大変だなあと思う

 

本や美術に触れる時間は

他人と感想を交わさなければ

観て感じたことを否定も肯定もされない

脳内の思考の海を悠々と泳いでいられる

自由で幸福な時間だ

 

他人と感想を交わすには

言語化しないといけない

言語化したらずれたり化けたりして

いまひとつ伝わらない

 

自分に刺さった何かをそのままにして

吸収してしまうのがいい

それはそのうち自分の構成成分になって

気づかないうちに溶け込んでいる

 

橋田くんがピカソの熱量の話をしてたのが

やっぱりそうだよなと思ったのだけど

ピカソから感じるエネルギーの密度は

あれはもう確かに在る事実で

ピカソ観ると血が沸くよね

 

とりとめもなく

しかのこのこのここしたんたん 2話

🦌鹿🦌

🦌🦌鹿🦌🦌

🦌🦌🦌鹿🦌🦌🦌

 

朝3時から自腹で部室を改造するこしたん

その部室を容赦なく完膚なきまでに破壊する妹

そして鹿せんべいしか視界にない鹿

 

こしたんがひたすらまともで泣けてくる

朝3時から拵えた部室を破壊した妹にぶちきれてクレイジーこしたんが見れるかと思ったけど

他2名のクレイジーさと争わずに蚊帳の外だった

 

天に召される鹿

お迎えも鹿

神も鹿

蹴り戻される鹿

鹿🦌鹿🦌鹿🦌

 

エンディングを聞くたびにとりあえず思うのは

鹿アニメなのか

鹿せんべいアニメなのかということで

 

もしかしたら鹿せんべいアニメなのかもしれない

 

しかのこのこのここしたんたん 1話

鹿🦌🦌🦌🦌🦌

鹿鹿🦌🦌🦌🦌

鹿鹿鹿🦌🦌🦌

 

都立日野、完全都内で鹿

あのリアル鹿は概念なのか実物なのかも不明

もうヤンキーばれたくないとか

そういう次元で展開していない

 

ただなんかヒトの形をしているのに

ヒトを超えた挙動をとるのは

最高だなと思う

教室の入り口を破壊する場面が

いっそ神々しい

 

エンディングの鹿せんべいもたいへんすばらしい

鹿文学の歴史の一頁に

新たに刻まれる一作になることだろう

 

鹿🦌🦌🦌🦌🦌

鹿鹿🦌🦌🦌🦌

鹿鹿鹿🦌🦌🦌

 

小市民シリーズ 1話

いちごタルトがあああああああああ

これは罪深いですね

あんなに美しく創られたいちごタルトを

投げ捨てるなんてことは

しかもふたつも

罪深し

罪深し

 

エンディングが超岐阜だった

さすが米澤作品

昆虫博物館もAliceのケーキ屋さんも見たことがある

古民家カフェみたいなところいいな

 

さて意味深なふたり

訳ありですかね

それにしてもいちごタルトが美しかった

渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』

ゴールデンウィーク鳥取のタルマーリーというパン屋さんに友人が行きたいということでついて行った。そのお店の本である。お店でパンと一緒に買った。

 

量販店や全国チェーンはたくさんある。便利だしおいしいけれど、システマチック。

最近は個性的な個人店があちこちに増えてきていて、人気のあるお店ほどなんというか血の通っている感じがする。というのは感覚としてあった。

 

そういう血の通っているかんじ、の内情を説明してくれる本だと思う。

そこには思想があり、理想があり、情熱があり、惜しみなく労力を費やしたり、お店にまつわる諸々を楽しんでいたりする姿がある。

なんというか、こういうことができる時代になってきたのだなあと、豊かさを感じる。これからを感じられる気がする。

 

腐らないお金、という見方が新鮮だった。

腐るのが自然なのに、腐らないという不自然。

腐ることを肯定して、身を任せてみる自然さ。

身を任せることの難しさ。

必要なものを必要なだけ回していく、利益を出さないで続けていく。

余計なことをしないでいることは、意識しないと結構難しくて、無意識に余計なことをしがちだったりするもので。

借りない、地のものでやる。というのは大事なことだなと思う。

 

なんかゴールデンウィークに友人にくっついて出かけた時はなんとなく仕事に生かせそうという予感だけだったけど、直列つなぎになりそうなレベルで関係あった。今、同時代、同国の話だと思うと超おもしろい。地域経済の主役の人たちの話だった。