またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

林史也『煙たい話』1巻

年に1回くらい、直感で見知らぬ漫画を何冊かお持ち帰りすることがある。今日はそれだった。

これまでも至高の餅SF漫画『プリンタニア・ニッポン』やひとりたちの集う『ふきよせレジデンス』を発掘してきた当企画。自分の自分による自分のための選書。選び取れ今の私の至高の一冊。

 

戯れはこの辺にして、今回も1冊目からいい感じ。

『煙たい話』

学校の先生とお花屋さんの元同級生が、「一緒にいると楽しい」だけを理由にしてルームシェアを始める話。

人にはうまく説明できない。友達とも家族とも違うし、恋でもない。聞かれたら戸惑う。いつまでそうやっていられるかは分からないし、誰かから何かを言われるかもしれないけど、それでも一緒にいたいので一緒にいる。そんな話。

 

1話で題意が明かされるんだけど、これがまずささった。引用。

「火のないところに煙は立たない」

「とはいえ煙だけを見て火元の正体が知れるわけでもないんじゃないか」

「その火がどんな色をして何を焼いたか ちゃんと近くで目を凝らさないことには」

「それこそ他人からすれば 煙たい話かもしれないけど」

当人たちにしか分からない、火元の話。

ごく個人的なことが、静かに営まれていければいいよねと思う。煙を見た人間が何を思おうと、火元で起こっていることは本当には分からないよなと。

 

マスコミュニケーションは乱暴が過ぎて、すぐにカテゴライズして変な名付けをして、それが煙しか見てない人たちに広まって。

たとえば私はいい部屋ネットのCMを断固として受け付けないけど、要はああいうことをして平気でその属性の人間を十把一絡げで攻撃してくるのだ。勝手にくくるな、放っておいてくれ。

って好き勝手言えるのは、いい時代になってきてるのかなと思う。

 

誰もが火元なのだという気がする。

それぞれの火元で何が起きているかなんて、火元にいる人しか分からない。

そういうことを肯定してくれる1巻だなと。これからどう展開するかは分からないけど、今のところとても好き。

好きにやりやすい時代だよなとは思うのだ。レールが決まってないから、自己責任だけど何してもいいというか。だからこそ人が何かを考えて何かを選んでいく過程を描いた作品が今、いいなと思ったりする。

ハラスメントとコンプライアンスバチバチに張り巡らされた今日において、自分の勝手気ままもまた守られている面もあるような気がしている。…気のせい?