あーなんでしょう。なんでしょうね。
こういう…
笠町さんの衛星の概念、「与えたのと同じものが返ってこなくていい」「少し離れてその人に関わっていたい」とこれはもはや一種の悟りの境地だなと。いつかそう思えたらいいなと思う。
朝ちゃんは「なんにもない」と言い続けるけど、それが自由であることの証になるとか。
「空虚」という言葉とともに朝の父が朝のまわりをただよい続けたけど、あの人はほんとうにどんな人だったのか。それはこの物語の主題じゃないから語られないんだけど、亡霊のようにかすんでいくけれど。娘に差し出された手を取らない父の心境とはこれ…いかに。明白な拒絶もしないんだよな、ただ突っ立っていた。どんなものを抱えた人間だったのか。人ってここまで空虚のごとくなりうるのか。空虚の権化みたいになっている朝パパのことを考えずにいられない中で、朝は空虚=なにもないことを自由の証だと思おうと語るのだ。
朝パパの昏さは、空虚以外の要素もあるのではなかろうか、どうなんだろう。
槙生ちゃんの愛してるでは言葉が足りないくだりはもう涙なしには読めない…これがこの物語の最終話。
これひとりの人間が生み出してると思うと鳥肌立つというか、もう想像したくないね…想像力がえぐいということなのか。
自分の想像力のなさに絶望する日々を通過して最近開き直ってきているどうしようもない私に突き刺さる年末の漫画体験だった。
他人のことは分からん、でも傷つけるのは違う、というのが最近の悩みなんだけど、人類の永遠の悩みってたくさんあるよね。
ううーん、たいへんよいものを読みました。