またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

鴨志田一『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』

電撃文庫久しぶりに読んだ。

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』、有名タイトルで認知はしてたけど、おすすめされたので読んでみた。

 

◯主人公の複雑なキャラクター造形

梓川咲太は元々の気質と、妹と思春期症候群に巻き込まれたあとに変質した気質を多分併せ持っている。この物語は巻き込まれた後から始まるので、もともとの梓川咲太がどういった人物だったのかは今のところ分からないけど、妹のために必死になったのだから多分本質的にとても優しい人物なんだろうと思う。

ひねくれて道化た人物を演じるのは他人からの攻撃に対する防衛策なんだけど、よっぽど嫌な思いをしたせいで、攻撃の精度がえらく高い。なので背景が説明される前の物語の序盤では梓川咲太を見誤る。

そこから主人公の経緯がさらっと説明されるが、そこがまたしんどくて読者の方が心折れそうになる。大人でも目を逸らすようなものを高校生が抱え込むのはとてもつらい。世の中は綺麗事で済まないけど、見ずに済むのなら目を逸らしたいと思ってしまう。これでは彼らの学校に流れる空気に従順な生徒たちとどこが違うだろうか。この作品は結構鋭利に読者の心を抉ってくる。

梓川咲太は大した人物なのだ。

 

◯空気

「関わらないのが当たり前という『空気』」

この物語は終始空気をテーマにしている。

咲太を吊し上げてもいい空気、桜島先輩を無視する空気…空気には根拠がない。誰かの思考停止が生み出す他者理解への拒絶が、排除の空気を生み出す。人はよく知らないものをひどく蔑ろに扱えるから、他人を深く知ろうとしないんでしょう。

この物語に重さを持たせているのが、このテーマなんだと思う。そしてラノベの青春もののよさはこういうところにある。漫画やアニメでは踏み込みきれない重さを書き込んでいける。

空気の話をしだすと脱線して止まらなくなりそう。

人間が複数集まると、空気が力を持つ。

対個人なら話もできたりするけど、複数になった途端に対個人のときの親しさが通用しなくなるのもよくある話。なにかパワーバランスが働いて、お互いが正体不明の空気を読み合って、無難にやり過ごす。私は複数になると存在しないことにされるお立場の人だから、グループで話すのが心底つまらない。誰が私を空気にしたのか、ちゃんと覚えておいて信用しない。

この物語は、排除された側から集団を眺めるので、かなり好きだなと思う。思わず肩入れしすぎてしまう。ちなみに集団からは遠ざかった方が、幸せに生きられるような気がする。そもそも排除機能のある集団に所属すること自体がストレスでは。私を排除する君たちを私の世界から締め出しますくらいの意気込みでよろしい。それでいいんだよ。おねーさんが保証してあげよう。

そんな感じで梓川咲太の生き様には結構共感できる。この子がどういう青春を送って、やがて青春の出口を見るのか、もうちょっと眺めたいような気もする。

この子の背景が重すぎて、安易に共感するとか言ったら笑われちゃいそうだけど、うん、ろくでもない集団に見切りをつけて自分から切り捨てていく1巻開始時点の梓川咲太のスタンスに共感したかな。

 

◯シュレティンガーの猫

SF要素が物語の装置になっている。

双葉という物理に強い変人キャラクターがいるのもいい。

今回は「観測」。桜島先輩を観測している間は先輩が存在していて、観測を止めると存在しているか存在していないかすら分からなくなる。いるのかいないのか分からなくされた先輩は、誰からも見えなくなる。

日常の嫌な光景と、物理の仮説が重なりあって、絶妙な不思議現象が現れる。嫌なものが物理的な現象になって現れる世界観は、ぶっとんでいて、それでいてどうしようもなく切ない。

実際に無視されても消えたりしないし、悪口言われても体は裂けたりしないけど、そういう見えない痛みを上手に生々しく表現しているなあと思う。

 

◯ラストシーン

鬱々とした空気を、ふっとばすむちゃくちゃなラストシーンは、この物語を読んでよかったなあと思わせる爽快感があった。

押し寄せる嫌な空気に対する、梓川咲太の見事な答えだった。除け者からの逆襲劇は見ていて楽しくなる。空気なんて相手にしないラストシーンがまぶしい。

 

というわけで『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』は久々に入れ込んじゃいそうな小説だった。おもしろかった。