またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

菅野仁『友だち幻想』

ちくまプリマー新書より。

中高生向けらしくさらっと読ませるけど、人間関係というシステムをうまく整理していておもしろかった。以下概要と所感。

 

・「脅威」でもあり「生の味わいの源泉」でもある他者

他者には、何をされるか分からないあるいは不意に傷つけられるかもしれない脅威としての面と、自分を承認してくれる生の味わいの源泉としての面がある。その二重性に時に喜び時に苦しめられる。

 

・ネオ共同性と「やりすごす」距離感

昔は生きていくために他者との協力が欠かせなかったために生活圏域での同調圧力が発生していた。現在は物質的に豊かになったものの、同調圧力は未だ存在している。今の同調圧力の根本には「不安」がある。他者と同じであろうとすることで、不安定な自分を保とうとしている。

個人が異なった背景を持つのが当たり前の世の中ならば、全員が親しくすることよりも、価値観の違う人間同士が傷つけあわずに併存できることが重要になる。

 

・教育

今まさに友だちとの共同体を生きる子どもたちに対して大人が何を伝えるべきかどう接するべきかが語られていた。

「印象に残る教師を目指す必要はない」というのが印象的。反面「日々の命の保障ができるようなルール作り、学級運営を」というのはまったく事実だけど、学校って怖いところだなあとも思う。教育業界は責任が重い。

筆者は「いじめをしてはいけない理由は自分もいじめられるリスクを負うことになるからだ」と合理的に説明しているけど、中高生ならこの理屈、理解できるのだろうか。理解できるようならそもそもいじめに走らないのではないだろうか。

 

・他者を見失う言葉

「ムカツク」「うざい」を筆頭にいくつか挙げている。

「ムカつく」って他責なんだよね。他責するには相応の理由がいるわけで、それを放棄できる魔法の(危険な)言葉という説明を筆者もしている。

 

他者への意識っていうのは人によってかなり差があるんじゃないのかなあと思うことがある。それはもう人の数だけ受け止め方も感じ方も発信の仕方も違うんじゃなかろうか。

自分が生きてくための他者観を持ってそれぞれが生きているような気がする。それはその人のこれまでの生活や人生の軌跡そのもので、結構尊いものなんじゃないかなと思う。