またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

『サカサマのパテマ』

・立場の違う人々の異文化交流

前に「バブル」を観た時に、異文化交流系はどちらか片方の世界しか描かれないんだなあと思って、オトちゃんが主人公の都合のいいように理解されただけのような気がして不満が残ったのを思い出した。偶然だけどバブルも重力の話だったな。

サカサマのパテマは、映画という短い尺の中で両方を描く。空に落ちる側、落ちない側。立場がたびたびにサカサマになるのだ。それを繰り返すことで、一方的でない関係性が生まれていく。

 

・イザムラはとても…

イザムラ、よくぞここまでというくらい変態っぽい嫌なやつになっている。いいところがない。ただ嫌なやつじゃなくて、たぶん変態だと思う。言動が。独裁者にナルシシズムの強い変態が就きがちというのを何かで読んだことがあったけど、こういう人のことか。怖がり…なのもなかったことにして、罪だ罰だと喚いて、自分に都合のいい解釈ばかりして、この人には何も見えちゃいないという、悪役としてのプライドとか主張もありはしない、ほんとうに「かわいそうなひと」。

 

・舞台のカラク

エイジの住む「地上」は徹底された管理社会。全寮制の学校で、出席はもちろん受講態度から放課後の振る舞いまで逐一チェックが入り、厳しく指導される。空に興味を示すことを禁じて、空に向かったものたちを嘲笑う。規則を脅かす者は排除されてしまう。

パテマの暮らす「地下」は、閉鎖された場所ながら人間らしい交流が交わされてどことなく温かい。立ち入り禁止区域を定めて、たびたび侵入するパテナを叱りはするものの、結局パテマは「地上」に落ちていってしまう。

「地上」には果てがある。空に落ちたものたちが集積されたかのような場所。エイジの父親が作った飛行艇もここにあり、エイジとパテマは「地上」そして「地下」に戻ることができた。

最後にどんでん返しが待っている。主人公たちにとってはこれまでの価値観がひっくり返る展開だ。「地下」の下に大地があり、空があった。エイジたちがサカサマで、パテマたちこそが空に落ちていかない人たちだったことが明らかになる。地上と地下の概念すら最後にサカサマにひっくり返される。

 

・主人公たち

「地下」に閉じ込められた人々が「地上」に憧れを抱くのも、管理社会で暮らすエイジがパテマを取り戻しに行くことを自分では思いつけないことも、現状維持を望む人たちも、静かな心情が自然に描き出されていると思う。

視点や思考が一方的になりがちな中で、相互に相手の立場や心情を知るシーンがあったのが印象的。こういうのが観たかった。

 

爆発や発砲があまりなくて、全編クラシックが流れているような雰囲気が、アクションシーンが入ると混乱する種族的にはありがたい作り。