またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

GODZILLA 怪獣惑星〜星を喰う者

※感想がなんだかふてくされてる…ので謝罪します。昨日の今日だからね…世情含みでまあいっか。

 

ハルオの憎しみの物語であり、メトフィエスの長きにわたる悲願の物語でもあった。

一視聴者としては、ハルオとマーティンの対称性が気に入った物語だった。

 

未来を視る者に罰のように与えられる絶望という呪い。約束された結末を呼び出すための供物がハルオ。人間は不安の中生きていかないといけない。今日も明日も。未来が分かっても安息なんてない。そんなの…未来を視なくても分かるけど。視えないからこそ持てる希望もあって、それは幻想かもしれないけど。

良くなったり悪くなったりの繰り返しで、まあいいのか悪いのかもよく分からなくなってくるけど、不明なくらいが生きやすいんじゃないか。

 

そういう中で憎しみの対象としてのゴジラをハルオは見つけた。メトフィエスが見つけさせたのかもしれないけど、その辺はどうなんだろう。

それでハルオの人生はゴジラに縛り付けられ、ゴジラを憎み倒す方法を追い求めることにその生涯を費やした。

学者先生は対照的で、目に見えるものをつぶさに観察して、感情に囚われない人だった。この二人がメインキャラクターとして最後まで残ってくるのが象徴的。科学を生のもの、感情を死のものとして描いているような。ハルオがいなくなった後も彼は目の前の生をまっとうすることだろう。

 

ほむらとまどか然り、狡咬と常森然り、そういえば囚われるものと自由なるものを対称的に描いていたなと思う。

物語の体温としての執着と、テーマや視点としての科学のまなざしとが、おもしろい物語のエッセンスなのかもしれない。

 

エクシフもビルサルドも、民族レベルでひとつの教義のようなものを持っていて、それに殉じたし、地球人と共生するふりをしてその教義を振り翳し、意のままにしようともした。

それは…普通の人間関係の縮図だ。みんな自分の信じているものが一番尊いと思っていて、他人から理解を得ようとしたり、理解を得られず敵対したりする。

地球人が描く異星人だからそれはそうだけど、普段生きている日常そのものが異星人同士の交流みたいだなと思う。言葉が通じるからといって、頭の中まで理解できると思ったら大きな落とし穴に落ちてしまう。

 

さて情熱の対象に全てを捧げる危ないキャラクターというのはひどく魅力的に映るように、ハルオもまたモテにモテる。不安定が故に他人が引き止めたくなるような、ハルオ自身も不安から手を伸ばしてしまうような、不安定に由来する弱さが人間同士を引き合わせる、そんな関係性を見たように思う。

学者先生のひとりでも生き抜いていけそうな無尽蔵の好奇心と観察眼は個人的には初期から魅力的だったが。マーティンさんというのか。今調べた。地球を観て、ゴジラを観て、異種族を観て、仲間の心情を観たその観察眼は物語のガイド役でもあり、ガイド役を務めうる信頼に足る語り手であり続けた。

 

さて人類の生の果てに待ち受けるものがギドラであったとしても、その日まで人類は多分生きていくだろう。ハルオは自身が死んででも、人類が地球で生きる未来を望んだのだ。自分はゴジラへの憎しみと過去の遺物を抱えて死んでも、自分の願いは守り通したといえる。

別作品ではまどかもウタちゃんも同じように消えていったわけだが、いずれも死ぬしかないから死んだ、それだけ。そこにドラマを見出す気はない。ドラマは生きている人間のためだけにある。死んだらそこでその人のドラマはお終いなのだ。その人が死んだ後を生きる人のドラマが続いていくだけだ。死ぬことより生きることの方が何百倍も大変なんだ。だから生きてる人はみんなえらい。

登場人物がよく死ぬことに定評のある脚本家の虚淵氏はその辺どうお考えなんだろうなと興味ある。なぜ虚淵脚本では人が消えるのか。ちょっとおもしろそうだな。

追記:このゴジラに関しては、ハルオの死は無意味だったことが最後のカットで分かる。他の作品と一緒にするのは乱暴だったように思う。再考の必要あり。

 

まあひとまずこんなところで。

映画館で観た時のまま、訳もわからず嫌いなまま放置しなくてよかったかなと思う。人間を生きることの難儀さを考えさせられた。

追記:怪獣同士の戦闘とか怪獣の生態っていうのは人間関係とはまた別枠で存分に楽しませてもらった。元の設定が分からないけど、夢に介入するモスラとか、異次元宇宙から一方的に干渉してくるギドラの設定はまたとてもおもしろかった。