またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

ゴッホの特殊展示と岡本太郎のエッセイ

岡本太郎の『美の呪力』を読んでいたところ、5章の「夜の画家・ゴッホ」という文章と遭遇して、春先にゴッホアライブという企画展示を観に行ったのを思い出した。

 

ゴッホの絵はたぶんちゃんと観たことがなくて、教科書の「タンギー爺さん」や「ひまわり」のなんとなく原色で黄色の比較的明るいイメージがあるだけだったんだけど、この展示に行った時に印象が一変した。

解説でゴッホの悲劇的な来歴を読んだのもあったけど、なにより絵自体に覚える異様な密度と歪み、原色なのに浮かび上がる乾きと寂しさ、日向に対してあまりに濃い日陰。明るい絵ほど怖いという不思議な体験。ゴッホの絵は思ってたのと全然違った。

このひとの絵を生で観てみたいと思った。画に刻み付けられた痕跡を見たい気がする。

 

植物のひまわりは真夏の灼熱の中、晴れた空にまっすぐ伸びる姿が美しい。見ていて気持ちが晴れる花だなと思う。ゴッホもまたひまわりを描いたけど、あのひまわりは観る人に植物のひまわりとは全然異なる印象を抱かせる。からからに燃えていて、乾いている。

 

岡本太郎ゴッホの報われない人生を、芸術に追い込まれ続けた人生を語り、ゴッホの見たさと見てられなさを言語化していた。

情けないことだけれど、偉大な先人に感化されたので私もゴッホの絵の感想を残しておこうと思う。

ゴッホの絵は「凄い」。あまりに切実に生きていて、彼の生きた歪みに歪んだ運命をそのままキャンバスにすさまじい密度で刻みつけて、遺した。

星月夜なんかはあまりに幻想的で、正気の沙汰じゃないどこかに繋がっていそうだ。そこまで自分自身にのめり込んで生きるということそれ自体がおそろしくて、凄い。そのおそろしさの果てに彼は命を落とすのだが。

 

ピカソとか岡本太郎は、技巧を極めてから意図的にぶっこわして正気の沙汰じゃない絵を作っていると思うんだけど、ゴッホはたぶんずっとほんとに狂った世界にいて、描き続けたひとっぽい気がする。

私は意図的な発狂を心底かっこいいと思うんだけれど、意図的な発狂は俯瞰が入ってどこか冷静だからこそ安心して観られるのかもしれない。

ゴッホはたぶん本当に狂っているので、生半可な気持ちでみたら呑み込まれそうなこわさがある。そこには彼が見た世界がある。それはひとつの現実で、ひとりの人間がみた真実かもしれない。

 

ゴッホ展が来たならばきっと観に行く。

その密度に切実さに、圧倒されたいのかもしれない。