またたび感想録

観たもの聴いたもの読んだものの感想を述べます。

蒼銀のフラグメンツ

読み終わりましたねー。

prototype +全5巻+番外編

なんともなんとも。

 

愛歌とセイバー

セイバーは愛歌を殺すしかなかったのだろうか。

セイバーの願いは生前守れなかった故郷ブリテンを取り戻し、恒久平和をもたらすこと。

その願いはしかし、共闘し相対した他の英霊たちの言葉に触れて揺れる。自分たちがかつて守りたかった民と同じように、今ここにいる民を守るべきではないか、と。

未来志向の気付き、前向きな展開。

が、しかし全ては遅きに失した。

マスターたる沙条愛歌は、根源に接続した、人間の枠外の存在。彼女は生まれて初めての恋に魅了され、夢中になった。セイバーを自分だけのものにしたいと強く願った。

彼女は「セイバーの願いを叶える」ために聖杯戦争を危なげなく制し、聖杯の獣を発動せんと容赦なく多くの少女を犠牲にした。

たとえばもし、セイバーがもっと早い段階で気づいていたならどうだっただろうと思う。

それでも愛歌の行動は変わらなかったかもしれない。根本的に「王子さまの独り占め」が彼女の望みであるならば、生贄が全て年頃の少女であったことも、セイバーと接触した妹をすぐさま生贄にくべようとしたことも、愛歌の嫉妬から生まれた行動に過ぎない。言ってみればセイバーの望みがあろうとなかろうとこの結末は避けられなかっただろう。

目的のためにどんな手段も取りうる全能の存在が恋に落ちたなら…完璧なお姫様の初恋は失敗に終わった。

結末に示された6体の黒く染まった英霊たちがいずれもセイバーを仕留めんとしているのは、生きて拒絶された愛歌の次なる算段なのだろう。

 

ううん…全能のお姫様かっこいいじゃん…。

空の境界がよかったので余計この扱いは納得いかない…。

なんでヒロイン乗り換えるの…。

闇堕ちした姫を救うところまでやりなよ!と思ってしまう。

 

なんでも知っている、なんでもできる全能のお姫様の初恋が可愛らしい作品なのだけれど。

なんで愛歌はセイバーに恋に落ちたんだろうね。とっても不思議。

そこはふんわりだったんだよ。未来を視て恋に落ちるとわかった。そして恋に落ちた。はて、な。

なんでそこでこれまで微塵も動かなかった感情が動き出すのか、愛歌にとってセイバーが特別なのか恋が特別なのか。分からない。

全能にとっての恋ってなんなんだろう。なんでも知っていても心が動くことがあるとすれば、それは恋だけなのだろうか。

 

愛歌が不憫でならない。

めげてなさそうだからいいと思うけど。

なんだろ…セイバーがブリテンの復活というから条件達成のためになんでもしてたのに、妹をみて「君こそ守るべき存在だ」と言うセイバーに全く共感できない…。

と一般市民は思うけど、愛歌にしてみれば聖杯の起動に600人もの少女を生贄にすることなどにまったく良心の呵責など感じないわけで、むしろ邪魔ものを排除したと無意識に思っているかも知れなくて、そうなるとまあ君たちもう好きにしてくれ…という気もする。

 

そうなんだよね、全能だけど愛歌は分からないんだよね…根源接続者は欠けている。

全てを得るはずなのに欠けているのだ。

なくてもいいものだからかもしれない。

たぶん、社会の概念が…。

弱っちい人間が生きていくのに必要な他者とのコミュニケーションというやつが、おそらく全く必要ない。だから他の人間が何を考えていようと、どんなことをしていようと、関係ない。

だから不思議だね。バグのように生まれた恋心というやつが。他人に執着する必要のない存在が、あえて他人を認識してあまつさえ愛するとは。

全能であっても他人を求めてしまうということなのだろうか。全能であっても生きている気がしないとは本編で語られていたけれど。

 

根源接続者の設定興味深い。

全能であっても、他人を求める。

他人はそれを理解できなくて恐怖する。

ある意味コメディだな。

なんで恋、だったんだろうなあ。

 

全能のサイコパスと博愛の理想主義者の恋物語とでも言うべきだろうか。

誰も愛する必要のない少女が恋に落ちたのは、あらゆる民を愛する騎士でした、と。

博愛の騎士の愛を独占したいとはまた無茶な。

その無理難題を押し通すのが愛歌なのか。

全能に靡かないからセイバーがいいのかなあ。

愛歌は第1次聖杯戦争が思い通りにいかなかったことを存外喜んでいるのかもしれない。そしてもっと楽しみたいと思っているだろう。

だからセイバーなのかなあ。叶わない、靡かない、思い通りにいかないことこそが愛歌の喜びなのかもしれない。

 

さてこの不毛な恋愛ごっこの終着点はいずこ。